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第47回『あけましておめでとうございます』 社福)鳥取こども学園 理事長・統括施設長 藤野興一
① 新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ第13章4節~8節
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛はいつまでも絶えることがない。
この「愛はいつまでも絶えることがない」が鳥取こども学園の創立の精神であり、運営理念です。
② 神様に守られ生かされて、2022年の新年を迎えられますことに感謝し、皆様の格別のご支援に心からお礼申し上げます。昨年4月14日、石井十次生誕の地宮崎県高鍋町にて鳥取こども学園が第30回記念石井十次賞を受賞しました。石井十次賞は私たち施設現場で働く者にとってノーベル賞のようなものです。創立以来117年目を迎える鳥取こども学園、1951(昭和26)年創立から71周年を迎える鳥取みどり園の歩みと歴代の役職員、子どもたち、OB.OGの皆さん、支援くださった本当に多くの方々への神様からの賜物と感謝したいと思います。
③ 様々な死線を潜り抜けてたどり着く子ども達もけなげに生きています。歴史の未来である子どもたちに真っ赤に燃える太陽のように輝いて歩んでほしいと祈ります。誰にも受け止めてもらえず、孤立し絶望した人たちによる「無差別殺人事件」が繰り返されています。何としても事前に食い止めねばなりません。常に「人間の尊厳と人権」は守られねばならないのです。
④ 日本の社会的養護は慈善事業の時代から、制度があろうが無かろうが目の前の小さくされた生身の人間の命に寄り添い続けてきました。今一度民間社会事業の原点に立ち帰りたい。欧米の破たんした制度ではなく、民間社会事業の献身性と専門性を活かした「日本型社会的養護」の構築が急がれます。現場実践の積み上げの上に、当事者に寄り添い、当事者と共に「日本独自の社会的養護」を創り上げたいと思います。
⑤ 「子どもアドボカシー」や子ども庁創設などが議論されていますが、「守ってあげる」ではなく、子どもと一緒に議論すべきです。子どもが声を出して、何か変化が起こっていくことが子どもアドボカシーで、その先の「権利ベースの文化」を目指すべきです。
2022.01.15
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第46回🍎リンゴ狩りに行きました🍎 児童心理治療施設 鳥取こども学園希望館 総括看護師 竹森 香理
コロナ第5波が落ち着き穏やかな日常が戻りつつありますが、感染症が再拡大しないよう予防対策をしながら、小学生の活動グループ【小学生会】を開催し、思いっきりリンゴを食べてきました。
この希望館【小学生会】は平成20年から始まっており、今年で13年目を迎えています。年度初めに子どもたちと日勤スタッフがやってみたいことを話し合い、なるべくそれに沿うようにと思考を凝らし、月1回ほどのペースで企画し活動しています。やりたいことがたくさんあって、中にはディズニーランドやUSJに行きたいなっていう要望も!行けるといいのですが・・・。
そして11月は子ども希望のリンゴ狩りに行きました。
リンゴ園ではお店の方から、“楽しく、おいしく食べるために”とルール説明がありみんなが真剣に聞いていたのが印象に残りました。
針金が張ってあり、危ないのでリンゴ園の中は走らないこと。
美味しそうだなと採ってみたものの、傷んでいて食べられないリンゴも、ジュースやジャムなどほかの使い道があるから捨てないでねと話されました。(なるほど!)
子どもも大人も、ルールを守りながら、好みのリンゴを早々と見つけ丸かじり!(強靭な顎力を持つのは誰?)。皮を剥いたリンゴを食べたがる子やリンゴのヘタと種だけを残し全部食べちゃう子、6個も食べたでと自慢する子(6個と言ってもちっちゃなリンゴなんですが~と突っ込みを入れたくなる気持ちを抑えつつ・・・(笑))、リンゴの実のそばに花が咲いているのを見つけ、「へ~、リンゴの花ってこんな花なんだ。」と感心したり、「来年は中学生だからこのメンバーでは最後のリンゴ狩りだな。」としみじみと言葉にする子どもがいたり。「なんで、横向きに針金が張ってあるの?」「なんで枝を横向きにはわせるの?」と尋ねてきたり。「どのリンゴにも陽が同じように当たって美味しくなるようにしてるんだと思うよ」と返すと、「へ~、そうなんだ~」と。
こんな感じで、みんなが青空の下思い思いにリンゴ狩りを満喫していました。
小学生会の一年の活動を通じて、子どもも大人も、移り変わる四季をからだ全体で感じながら、「へ~、そうなんだ。」と共に感じ合い、一つひとつの体験が素敵な思い出になればいいなと思います。今回も、にぎやかな子どもたちの声を聴きながら“癒され時間”を頂いちゃいました。子どもたちとの集合写真は老後の楽しみ(?)にしようとシャッターを切りました。
次回は12月。寄付でいただいたさつま芋を使って、焼き焼き大会を開く予定です。
食べること、遊ぶことが大好きなみんな。きっと盛り上がりますよね。
2021.12.02
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第45回🔴関わりを通じて🔴 児童心理治療施設 鳥取こども学園希望館 副館長 水野 壮一
ネットで最近の志向や風潮を知る機会は多い。先日興味が湧いたのは「関わりたくない人とは関わらない」ことに価値を置く志向です。それは「ストレスは耐えて乗り越えるものではなく、回避するもの」という視座から的確に示され、ネットでは「関わりを避けるべき人の見抜き方」や「タイプ別の対処法」のような指南も溢れています。それだけ会社や学校やご近所付き合いなどで、人と関わることに悩んで疲弊したり、モラハラやパワハラやマウンティングに苦しんだりする人たちが多いことの証でしょう。また、これは単なる「わがまま・自分本位」ではなく、多様性や自分らしさに目を向けた成熟した社会だからこその風潮かと考えます。
でも、少しだけモヤモヤした感情も湧きます。もちろん私はハラスメントを是とする根性論者ではありません。(そういう人がいたら私も関わりを避ける)でも「関わりたくない人とは関わらない。」というワードが的確で説得力があるからこそ、その本質を離れて独り歩きすることに畏怖を覚えます。そのように感じてしまうのは、おそらく私自身が社会的養護の役割と使命を通じて物を考える癖がついている故と自己分析します。
「鳥取こども学園」法人職員の大切な使命【支えと役立ち】は、子どもや利用者さんとの関わりによって果たされます。でも時には相手から「関わりたくないな」と思われることもあると予想します。例えばネグレクトの成育歴がある子にバランスの良い食事や入浴による清潔の大切さを示したり、発達障害を抱える人に「落ち着いて」とか「今はこだわり過ぎずに」と伝えたり・・・時には(偶発的に/必然として/治療として/等の様々な理由から)その人が抱えるトラウマに触れる関わりもあります。しつけや養育や社会規範では正論であっても、当人にとっては苦痛やストレスを伴う関わりとなり得ます。そのような場合に「関わりません」という選択肢が選ばれると、改善策や共存を目指す余地が無くなってしまうのでは…と憂慮してしまう自分がいるのです。
だからこそ私たち法人職員は相手の尊厳を侵さず、痛みや悲しみへの寄り添いを大切にしたいと思います。そして謙虚さを欠くことなく、つぶさに自身の働きと心に目を向ける必要があると考えます。まさしく「愛がなければ、私はさわがしいどら、やかましいシンバル」(コリントの信徒への手紙13章)を意識することが求められるのでしょう。18年ほど前に私が女子ホームのホーム長をしていた頃、生活を共にしていた中高生の女の子3人との会話をふと思い出しました。
要約すると以下のとおり ※すべてジョークです!
Aさん「うち、水野さんとは関わりたくない!なぜならイケメンじゃないのにウザいから!」
Bさん「分かるわー!どうせなら、イケメンにウザくされたいよねー」
Cさん「でも水野さんって、一生懸命だし時々優しい時もあるし…悪くないよ。だからと言って、良くもないけど(笑)」
Bさん『うちらのホーム長は「天は二物を与えず」の日本代表レベルだからねー』
Aさん「そうかーあまり贅沢を言うとばちが当たるね。では、うちに関わるのを仕方なく許す!これからもよろしくね!」
私「・・・ありがとうございます」
みんなでおなかを抱えて笑った記憶があります。
この会話が私の心に残っている理由は3つ。
1.関わりには相手の許し(受け入れ)が必要という実感
2.「一生懸命」と「優しい」は二物とカウントされず、合わせて一物となることの発見。
3.実は当時、自立を控えてシビアな話をしたり、衝突したりして私に対してストレスを抱えていたのはCさんでした。そんな彼女が(ほんの少し)擁護してくれたこと。尊重をベースにした関わりを通じて生まれることを、大切にしたいと考えます。
2021.11.19