リレーブログ | 社会福祉法人 鳥取こども学園 - Part 21社会福祉法人 鳥取こども学園 | Page 21

社会福祉法人 鳥取こども学園は、キリスト教精神にもとづいて創立されました。その基本理念は『愛』です。

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  • リレーブログ第5回 「明るいひかりと愛のみどり園」 田渕園長

     保育所「鳥取みどり園」は昭和26年4月に創立され、今年で64年目になります。当初は、3歳以上の園児50名でスタートし、その後、昭和44年12月に3歳未満児保育室及び遊戯室を増築し、今では、0歳から6歳までの子どもたち176名がすごしています。

     時代とともに家庭のありかたや、就労形態が変化する中、保育園で過ごす時間が長くなっている子どもたちが増えてきました。幼い子どもたちにとって、長時間過ごす保育園が、居心地の良い、安全で安心して過ごせる場所となるようにと取り組んでいます。乳幼児期は人の一生の内で人格形成の基礎となる大切な時期。この大切な時期を、私たちは、創設の心「愛・・子ども一人ひとりのありのままを受容し、かけがえのない命をはぐくみ、育てること」を基調に、子どもたちに関わり、共に過ごしています。

     幼児部園舎のまん中に大きな桐の木があります。この桐の木の下で子どもたちは、いつの時代も、友だちとおしゃべりしながら、砂あそび、泥んこ遊び、虫探し、鬼ごっこ、滑り台、などを楽しみ、元気いっぱい遊んできました。、園では、子どもたちの遊びたいという心を満足させ、益々遊びたい方向に導き、満足感、達成感を感じると共に「できた」という自信を培うのが保育園での子ども達への職員の役割と信じています。これからも、子どもたちが、「わくわく。ドキドキ」しながら「笑顔がいっぱい」で遊べるように、いろいろな体験や遊びを楽しみ、心身共に健やかな成長を支えていきたいと思います。また、平成9年に併設された、わくわく子育て支援センターでは、沢山のかたが利用され、ふれあいの場、情報交換や提供の場となっています。

     保育園、子育て支援センターともに、これからも地域に愛される保育所となるように、子ども、保護者の方に寄り添い、向き合っていきたいと思います。

    鳥取みどり園 園長 田渕陽子

    もうすぐ桜


    2015.03.10

  • リレーブログ第4回 フレンド&スマイル 山中総括寮長

     暖かい日ざしに春を少しずつ感じる季節になりました。

     本当にたくさんの方々のご理解とご協力のおかげで希望館の改築が進んでいます。自立援助ホーム「鳥取スマイル」も 少しだけ改築に感慨深い思いがあることをお知らせします。

     実はこの改築工事に児童養護施設および自立援助ホーム鳥取フレンド出身のOBが基礎工事に携わっておりました。25年前に鳥取フレンド滝山寮で生活していた人です。当時は、制度も資金もなく利用者の皆さんといろいろな出来事を一緒に乗り越えてきていた時代です。その当時の出身者の1人が建設会社を立ち上げていることはきいていましたが、偶然にも約1年前に出会い、その時の利用者で仕事を探している17歳少年のことを話したところ、社長として面接をして、彼を雇ってくれました。その子は、県外出身の方でしたから山陰の冬を2回経験しています。夏の暑さ、冬の寒さの中での屋外作業の試練を乗り越え、現在もその会社で働いています。

     お世話になった社長の他にももう1人のOBがいて、いつも楽しい会話で笑わせてもらっているようです。つらいことも多いと思いますが、現在の寮がOBに面倒を見てもらっていることに、繋がりと温かさを感じます。そのOBさんも「まさか自分が鳥取こども学園の工事をすることになるとははなあ…」と感慨深く言っていたことを忘れられません。

     人との出会いをいつまでも忘れないでいてくださることに感謝します。まだまだ試練はあるでしょうが、頑張っている姿に自立援助ホームのスタッフも元気をもらっています。

    鳥取フレンド・鳥取スマイル 総括寮長 山中 友子

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    2015.02.27

  • リレー第3回「日本奥地紀行」を読む 希望館館長 西井啓二

     鳥取こども学園は1906年(明治39年)に創立しています。その28年前の1878年(明治11年)、維新、文明開化の間もない日本を訪れたイギリスの女性がいます。当時47才のイザベラ・バードは、妹への手紙として当時の日本の様子を届け、後に「日本奥地紀行」として英語版で出版されました。東洋文庫に収録されていましたが 2000年に平凡社ライブラリーで文庫化され、読む機会を得ました。その後、本自体は読了後に誰かにプレゼントしたのですが、最近、書店の棚で再発見しもう一度読んでいます。

     イザベラ・バードは、1878年5月に横浜に上陸、その後、日光を経て東北・北海道と外国人が訪れたことのない地域を踏破しています。前回に読んだかすかな記憶の中に「日本の人達は、とても子どもを可愛がる」という記述があり、果たしてどういうことだったのか、もう一度確かめたくなったのです。昨夜、当時の日本での子どもと大人の関係を表現した箇所にたどり着きましたので紹介します。(ここまでが前置き)

    「日本奥地紀行」 イザベラ・バード(平凡社刊)

    第十信 日光 入町

     『私はこれほど自分の子どもをかわいがる人々をみたことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり,子どもの遊戯をじっとみていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうなである。他人の子どもに対しても、適度に愛情をもって世話をしてやる。父も母も、自分の子どもに誇りをもっている。見て非常に面白いのは、毎朝6時頃、12人か14人の男達が低い塀の下に集まって腰を下ろしているが、みな自分の腕の中に2歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしていることである。その様子から判断すると、この朝の集会では、子どもの事が主要な話題となっているらしい。(中略)』

     『一家団欒の中にかこまれてマロ(ふんどし)だけしかつけていない父親が、その醜いが優しい顔をおとなしそうな赤ん坊に寄せている姿である。(中略)いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。子どもたちは、私達の考えからすれば、あまりにもおとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振る舞いは、人に大きな好感をいだかせる。彼らはとてもおとなしく従順であり、喜んで親の手助けをやり、幼い子どもに親切である。私は彼らが遊んでいるのを何時間もじっとみていたが、彼らが怒った言葉を吐いたり、いやな眼つきをしたり、意地悪いことをしたりするのを見たことがない。しかし、彼らは子どもというよりはむしろ小さな大人というべきであろう。』

     イザベラバードの日本に対する第一印象は決してよくはなかった。むしろ、極東の野蛮人を観察する視点に見受けられる。やがて、日本人の礼儀正しさを知り、尊敬するに至っている。本文では 何カ所か子どもの様子が描写されている。彼女がたどった美しい日本の風景描写と初めての外国人が見た風俗は大変興味深いものです。

     ※リレーブログを発案しながら 自分の順番に追いかけられていました。今日は久しぶりに午前中はお休みです。他にもっとつたえたい事がたくさんありますが 今 読んでいる本を紹介しました。いかがでしたか、生活の価値の変遷に驚くばかりです。現在から過去に向かう100年余りというのが いかに密度の高い時代であったか。それは子どもにとっても家族にとっても激動が訪れたということなのだと感じました。

    平凡社ライブラリー

     

     

     

     


    2015.02.05