リレーブログ | 社会福祉法人 鳥取こども学園 - Part 12社会福祉法人 鳥取こども学園 | Page 12

社会福祉法人 鳥取こども学園は、キリスト教精神にもとづいて創立されました。その基本理念は『愛』です。

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  • 第32回『縁(えん)』児童家庭支援センター 子ども家庭支援センター「希望館」 所長 山中 八寿子

    「縁(えん)」を国語辞典で調べると「そのようになるめぐりあわせ」という意味があります。
    私は鳥取こども学園との「縁」を感じますのでそれについてお話ししたいと思います。

    高校卒業後、親の勧めで医療従事者養成の学校に進学しました。そこで「鳥取学生赤十字奉仕団」と出会いました。団員が何かの奉仕活動をするのですが、当時は、積善学園での活動や鳥取こども学園での学習活動・点字要約・手話サークル等があり、私は悩んだ末鳥取こども学園での学習奉仕活動を選びました。
    今の児童養護施設棟のあたりに図書室があり、そこが活動の拠点でした。今思えば学習というより子どもたちと一緒に遊んでいた(遊んでもらっていた)印象が強くあり楽しかった記憶が残っています。
    また、学生3年生の時だったと思いますが12月24日の夕方、鳥取みどり園で盛大なクリスマス会があり、その司会のアシスタントをしたことを思い出します。1部2部と別れていたのかもしれませんが、学齢期の子どもたちもいたので、昨年、鳥取こども学園の体育館で厳かにそして盛大に行われた「クリスマス祝会」と同様の会のアシスタントをしたのだと思います。司会者の方がベテランとはいえ、今思えばなんと大それたことを引き受けてやったんだろうと申し訳なく思いました。
    このような学校以外での様々な経験を経て社会人になりました。臨床看護や公衆衛生・産業保健そして最後の11年間は児童福祉の分野で働きました。
    この間、子どもに関わる沢山の関係者、関係機関・団体の方々のご指導・ご協力を頂きながら子育てのサポートに取り組んできました。ありがたく思っております。
    このように、関係機関や団体の方々と一緒に仕事をするうちに退職したら子どもに関わる仕事がしたいと考えるようになりました。
    すると、「縁」があってと思うのですが鳥取こども学園にたどり着くことができました。これも神様のお導きかと意味深く思っております。
    せっかくの「縁」を頂いたので『ぼちぼち自分らしく』と考えていますのでよろしくお願いいたします。


    2020.08.20

  • 第31回「はい、喜んで!」社会福祉法人鳥取こども学園 事務局長 山根章明

    はじめまして 事務局長の山根です。

    普段はパソコンの前に座り事務仕事をしていますが、建物設備保守や備品の修理をすることがあります。

    修理依頼があると、まずは症状・状態を確認します。これまで業者さんの修理に立ち会う機会も多く、単純なことが原因で不良が出ることもあり、最初に自分で見て、自分で直せるのか専門業者に依頼するのかを考えます。
    例えば、洗濯機の排水が出来ないときは、排水口や排水ホースにゴミが溜まっていないかを疑い掃除をしてみたり、排水管を覗いてみたりとか。ゴミを除去することで改善されることもあったりします。

    大抵は突然の依頼なので、採用後の数年は背広を着て仕事をしていましたが、建物修繕は服が汚れたりするので、いつしか上着を作業着に変え、ネクタイもしなくなり・・。
    (TPOは気を付けないといけませんが)
    昔は「なんで今なの!」ってイラつくこともありましたが、最近は「はい、喜んで!」と思うようになりました。
    パソコンを前にずっと座っている仕事なので、体を動かすことは気分転換になっていいのかなって思っています。


    2020.07.14

  • 第30回ここに『在る(居る)』事の不思議を味わいつつ 鳥取こども学園希望館 兼 こころの発達クリニック 精神科医 川口孝一

    今年度4月より古巣である希望館とクリニックを兼務させて頂く事になりました。

     新型コロナの生み出す(ウイルスさんに悪気は無いのでしょうが、私たち人類に大きな『禍』をもたらしています)初めてだらけの事態に戸惑い窮屈さを感じつつ、長引く非日常の中で、これまで『あたりまえ』と思っていた事に『ありがたさ』を感じさせてもらい、更に貪欲に「元に戻るのではなく、新しい生活スタイルを生み出せないものか」とも考えたりもしています。こんなおとな以上にこどもたちは、先の見えない不安や窮屈さを感じつつ、それでも懸命に『今』を生きています。そんなこどもたちの姿(同時に共に在る保護者さんや職員の姿も)を見ていると、不憫さだけでなく、未来への希望も感じます。
     この度のクリニック外来診療の縮小に際して、ご協力頂いた(転院や診察時間の短縮等)患者さんや医療機関の方々に、また非常事態に際し手作りマスクを寄贈して頂いた方々に(写真の私の好きな『リサ・ガス』柄のマスクも患者さんから頂きました)、この場を借りて改めて感謝致します。ありがとうございました。
     ところで、このリレーブログの番が回って来た時、文書作成依頼があると必ずやって来る『憂うつ』君がやはりこの度もやって来ました。実は私はこどもの頃から読み書きが苦手でした。小学1年生の時には、担任の先生にただ1人(当時1クラス45人近くいたと思います)放課後残されて、本を1冊音読させられて(失礼、『させてもらって』ですね)いました(その甲斐無く、今も活字アレルギーです)。それに加えて、注意欠如多動症特性も色濃くあります。そんな私は医学生の頃は、読み書き苦手でじっとして居られないので(医師は理系ですが、文系要素も強い)精神科医には成らないだろうと思っていました。しかし気が付いたら、偶然の重なり合いで精神科医に成っていました。そして精神科医として仕事をしているうちに、「私が精神科医に成ったのは自分の治療のため(自分を知るため)だったのだ」と気付きました。そして仕事の内容も自分の気づきと平行して進んで行きました。職業選択には意味があるのだと思いました。そんな不思議を味わいつつ今も精神科医をしています。
     私の臨床理念は、小学2年生の担任の先生との関わりに原点があります。2年生の時、私は商売(和洋菓子屋)が忙しい家に学校が終わっても帰りたくなかったのか、担任の先生に「放課後に廊下を掃除させて欲しい」とお願いしました。先生が一緒にやってくれるとは思っていませんでした。ところが先生は特に理由を聴くわけでもなく、黙々と私と一緒に木造の長い廊下の乾拭きをくる日もくる日もして下さったのです。先生とのこの時間の心地良さを今も忘れていません。お陰で2年生が終わる頃には2年生の廊下はピカピカに成りました。「『doing』ではなく『being』」、それが私の臨床理念です。
     学園のこどもたちとの関わりが増えてくると思いますが、たまたま医師免許を持っている『おじいちゃん』として、こどもたちと伴に『在れ』たら良いなと願っています。よろしくお願い致します。


    2020.06.03