第70回 😌『伝えるために大切にしていること』😌 児童心理治療施設 鳥取こども学園希望館 館長 水野 壮一
衆院選挙があったので、ネットで政治に関する記事を読む機会が多かった。ある日、スマホで記事をスクロールしていくと「投票マッチング」なるサイトが表示された。「あなたが投票すべき政党が分かりますよ」というサイトらしい。
票を入れない政党は決まっているが、入れたい政党が見つからない「ほぼ無党派層」の私なので、さっそく興味本位でサイトを開いてみた。エネルギー政策、憲法改正、少子化対策などにまつわる質問が次々と表示され、回答を選びタップしていく。20問以上設問があるのだが、興味本位で始めたため徐々に億劫になって回答が適当になる。「政策金利?よく分からん!」などと呟きながら回答を入力し終えると、マッチング結果に「あなたの考えとマッチしたのは○○党です!」と自分では入れないと決めている党が表示され驚いた。(おそらくテキトーに回答したからだ)驚くと同時になんだか小馬鹿にされたような気になって、思わず「お前にわしの何が分かるんじゃ」とスマホに小声で文句を言ってみる。
ふと、「前もこんな気持ちになったな…」と記憶がよみがえる。
ネットで流行った性格診断。自分の性格が分かり、仕事や生活に活かせるとのことだったが、「飽きっぽくてお調子者。しかも無駄に繊細で傷つきやすい」などと何の役にも立たない診断結果を表示するスマホに文句を言った。大学生の時に受けた職業適性検査では「営業職に向いている。福祉従事者として適正は低い」と示されカチンときた覚えがある。(適性検査結果を知った大学の就職課には、ずいぶん心配された)自動車学校で受けた運転適性テストでは「気性が荒く事故を起こしやすい」と出て、「気性まで聞いてないんじゃ!」と荒ぶった気がする。共通するのは顔が見えず感情を持たないものに、自分のことを分かったように示されるのが苦手だということ。(もちろんデータ集積や研究によってある程度の信憑性があることは理解しているが)
振り返って「自分自身はどうだろう?」と考えてしまう。人と人が向き合って悩みや喜びを分かち合あう学園・希望館において、子どもや職員さんに色々と伝える機会が多いからだ。
例えば「あなたの長所/短所は○○だね」と示したり「してください/しないでください」と求めたり、「本当にこのままで大丈夫?」と予測や心配を伝え、アイデアを出したりすることがしばしばある。きっと「水野さんに何が分かるの?」とか「あなたには言われたくない!」という感情を抱く人もいるだろう。
相手に示し、求め、理解を得るには、誠意とデリカシーが大切だと痛感する。デジタルなネット診断などとは違い、私たちは目を合わせ、声を響かせて伝え合えることが強みである。そして、相手の立場や心情に寄り添い、謙虚で丁寧であることが大切だと考える。正論・正解であっても、伝え方を間違えて相手にドン引きされては意味が無いのだ。その一方で、これは容易ではないことも多くの経験から学んできた。
人に何かを伝えるときに、いつも思い出す聖書の一節がある。
マタイによる福音書7:1~6 人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。 |
何度読んでも「その通りだ」と強く思う。そして「でも、難しいことだなぁ」という感情が沸き上がる。「心がけ」程度の軽いものではなく、「生き方」とする必要があるのだと考える。(だから聖書に書いてあるのだろう)
そんなことを色々と考えながら投票日を迎えた。投票所に着いた瞬間に「投票所入場券」を忘れたことに気付き「あっ!」と焦っていると、柔和な受け付けの人達が「大丈夫ですよ」と選挙人名簿を確認して投票用紙を渡して下さった。対応してくれた人たちは優しく誠実で、わすれんぼうの私におが屑も丸太も無く助けてくれたことに感謝した。
そして、自分で考えて選んだ政党に投票した。
2024.12.02