第48回 🍼マイ哺乳瓶さんの想い出🍼 診療所 こころの発達クリニック 医師 川口孝一
私は年中になっても、家でまだ哺乳瓶で牛乳を飲んでいました。その事が担任のH先生(幼稚園の先生のお名前は年中担任のH先生しか憶えていません)の耳に入ったようで、ある日先生から「哺乳瓶を持って先生の家に来なさい」と呼び出しがかかりました。哺乳瓶を持って先生のお宅に行くと、今でも憶えている低い天井のくら~い土間で、「もう年中なのだから哺乳瓶は止めなさい」と哺乳瓶を取り上げられました。
激しく抵抗したわけではないので、「取り上げられた」と言う表現は適切ではないかも知れませんし、その後不安定になることも無かったので、別れの(手放す)時だったのかも知れません。でも私を支えてくれていたであろう大切な「マイ哺乳瓶さん」との別れは、淋しかったのは確かです(エピソード記憶だけでなく感情記憶も残っています)。勿論その事で大好きだったH先生の事が嫌いになることもありませんでした。実は一昨年H先生からお電話がありました。50数年ぶりの(電話でですが)再会でしたが、先生は哺乳瓶のエピソードは忘れておられました。
病気の症状やいわゆる『問題行動』と言われる行動は、その持ち主にとってはある時期必要なものである事が多いように思います。しかし既に必要がなくなっているのに、まだ残っていると逆に害になります。例えば「食欲が無い」と言う症状は、「胃が疲れているから休ませてくれ」と言っているサインでもあるわけですから、無理やり食べさせられていたらいつまで経っても胃は良くなりません。しかし既に胃は良くなっているのに食欲不振が続くと栄養失調になってしまいます。「症状」を手放す(別れる)タイミングがあるのだと思いますが、その判断は難しいものがあります。
私は診療場面で、「もう通院は終わりにしても大丈夫でしょう」と治療終結をお伝えするのが苦手です。精神科医は必要が無くなれば忘れ去られないといけない存在ですので(思い出して頂いた時に、「変わらずそこに居る存在(実存しなくなっても)」であるべきなのだろうとは思いますが)、自然消滅的に忘れ去って頂くのを待ってしまいがちになりますが、治療者としてはそれではいけないのだろうと思います。そんな治療者としての私の甘さは、幼稚園の時の「哺乳瓶」さんへの未練が残っているからかも知れませんね。
PS:👆の写真はマイ着ぐるみ、コリスちゃん(クリスチャンではありません)の『リーちゃん』
2022.02.04