リレー第3回「日本奥地紀行」を読む 希望館館長 西井啓二
鳥取こども学園は1906年(明治39年)に創立しています。その28年前の1878年(明治11年)、維新、文明開化の間もない日本を訪れたイギリスの女性がいます。当時47才のイザベラ・バードは、妹への手紙として当時の日本の様子を届け、後に「日本奥地紀行」として英語版で出版されました。東洋文庫に収録されていましたが 2000年に平凡社ライブラリーで文庫化され、読む機会を得ました。その後、本自体は読了後に誰かにプレゼントしたのですが、最近、書店の棚で再発見しもう一度読んでいます。
イザベラ・バードは、1878年5月に横浜に上陸、その後、日光を経て東北・北海道と外国人が訪れたことのない地域を踏破しています。前回に読んだかすかな記憶の中に「日本の人達は、とても子どもを可愛がる」という記述があり、果たしてどういうことだったのか、もう一度確かめたくなったのです。昨夜、当時の日本での子どもと大人の関係を表現した箇所にたどり着きましたので紹介します。(ここまでが前置き)
「日本奥地紀行」 イザベラ・バード(平凡社刊)
第十信 日光 入町
『私はこれほど自分の子どもをかわいがる人々をみたことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり,子どもの遊戯をじっとみていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうなである。他人の子どもに対しても、適度に愛情をもって世話をしてやる。父も母も、自分の子どもに誇りをもっている。見て非常に面白いのは、毎朝6時頃、12人か14人の男達が低い塀の下に集まって腰を下ろしているが、みな自分の腕の中に2歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしていることである。その様子から判断すると、この朝の集会では、子どもの事が主要な話題となっているらしい。(中略)』
『一家団欒の中にかこまれてマロ(ふんどし)だけしかつけていない父親が、その醜いが優しい顔をおとなしそうな赤ん坊に寄せている姿である。(中略)いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。子どもたちは、私達の考えからすれば、あまりにもおとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振る舞いは、人に大きな好感をいだかせる。彼らはとてもおとなしく従順であり、喜んで親の手助けをやり、幼い子どもに親切である。私は彼らが遊んでいるのを何時間もじっとみていたが、彼らが怒った言葉を吐いたり、いやな眼つきをしたり、意地悪いことをしたりするのを見たことがない。しかし、彼らは子どもというよりはむしろ小さな大人というべきであろう。』
イザベラバードの日本に対する第一印象は決してよくはなかった。むしろ、極東の野蛮人を観察する視点に見受けられる。やがて、日本人の礼儀正しさを知り、尊敬するに至っている。本文では 何カ所か子どもの様子が描写されている。彼女がたどった美しい日本の風景描写と初めての外国人が見た風俗は大変興味深いものです。
※リレーブログを発案しながら 自分の順番に追いかけられていました。今日は久しぶりに午前中はお休みです。他にもっとつたえたい事がたくさんありますが 今 読んでいる本を紹介しました。いかがでしたか、生活の価値の変遷に驚くばかりです。現在から過去に向かう100年余りというのが いかに密度の高い時代であったか。それは子どもにとっても家族にとっても激動が訪れたということなのだと感じました。
2015.02.05