第45回🔴関わりを通じて🔴 児童心理治療施設 鳥取こども学園希望館 副館長 水野 壮一
ネットで最近の志向や風潮を知る機会は多い。先日興味が湧いたのは「関わりたくない人とは関わらない」ことに価値を置く志向です。それは「ストレスは耐えて乗り越えるものではなく、回避するもの」という視座から的確に示され、ネットでは「関わりを避けるべき人の見抜き方」や「タイプ別の対処法」のような指南も溢れています。それだけ会社や学校やご近所付き合いなどで、人と関わることに悩んで疲弊したり、モラハラやパワハラやマウンティングに苦しんだりする人たちが多いことの証でしょう。また、これは単なる「わがまま・自分本位」ではなく、多様性や自分らしさに目を向けた成熟した社会だからこその風潮かと考えます。
でも、少しだけモヤモヤした感情も湧きます。もちろん私はハラスメントを是とする根性論者ではありません。(そういう人がいたら私も関わりを避ける)でも「関わりたくない人とは関わらない。」というワードが的確で説得力があるからこそ、その本質を離れて独り歩きすることに畏怖を覚えます。そのように感じてしまうのは、おそらく私自身が社会的養護の役割と使命を通じて物を考える癖がついている故と自己分析します。
「鳥取こども学園」法人職員の大切な使命【支えと役立ち】は、子どもや利用者さんとの関わりによって果たされます。でも時には相手から「関わりたくないな」と思われることもあると予想します。例えばネグレクトの成育歴がある子にバランスの良い食事や入浴による清潔の大切さを示したり、発達障害を抱える人に「落ち着いて」とか「今はこだわり過ぎずに」と伝えたり・・・時には(偶発的に/必然として/治療として/等の様々な理由から)その人が抱えるトラウマに触れる関わりもあります。しつけや養育や社会規範では正論であっても、当人にとっては苦痛やストレスを伴う関わりとなり得ます。そのような場合に「関わりません」という選択肢が選ばれると、改善策や共存を目指す余地が無くなってしまうのでは…と憂慮してしまう自分がいるのです。
だからこそ私たち法人職員は相手の尊厳を侵さず、痛みや悲しみへの寄り添いを大切にしたいと思います。そして謙虚さを欠くことなく、つぶさに自身の働きと心に目を向ける必要があると考えます。まさしく「愛がなければ、私はさわがしいどら、やかましいシンバル」(コリントの信徒への手紙13章)を意識することが求められるのでしょう。
18年ほど前に私が女子ホームのホーム長をしていた頃、生活を共にしていた中高生の女の子3人との会話をふと思い出しました。
要約すると以下のとおり ※すべてジョークです!
Aさん「うち、水野さんとは関わりたくない!なぜならイケメンじゃないのにウザいから!」
Bさん「分かるわー!どうせなら、イケメンにウザくされたいよねー」
Cさん「でも水野さんって、一生懸命だし時々優しい時もあるし…悪くないよ。だからと言って、良くもないけど(笑)」
Bさん『うちらのホーム長は「天は二物を与えず」の日本代表レベルだからねー』
Aさん「そうかーあまり贅沢を言うとばちが当たるね。では、うちに関わるのを仕方なく許す!これからもよろしくね!」
私「・・・ありがとうございます」
みんなでおなかを抱えて笑った記憶があります。
この会話が私の心に残っている理由は3つ。
1.関わりには相手の許し(受け入れ)が必要という実感
2.「一生懸命」と「優しい」は二物とカウントされず、合わせて一物となることの発見。
3.実は当時、自立を控えてシビアな話をしたり、衝突したりして私に対してストレスを抱えていたのはCさんでした。そんな彼女が(ほんの少し)擁護してくれたこと。
尊重をベースにした関わりを通じて生まれることを、大切にしたいと考えます。
2021.11.19